◎ 遠藤栄作翁の話 |
昭和の始めの頃、城下の部落で若いお母さん達が、次々と三人亡くなった事件が起こり、途方にくれた村人たちが協議し、占いに見てもらう事になりました。
私(この資料を書いた人)と井坂さんとで幸原の老人で良く当たるという人を尋ねた。老人の話によると、 「城跡にかかわる人で、笠原新六郎という武将が供養をして欲しい」とのことであった。
当時は歴史的な知識は全く無い時代で、部落の人々は非常に驚いた。
大榊の家から東京に出て成功された人が、祭祀の基金として、当時では大金の五圓を寄付してくれたので、その利息で供養していた。
城下の家々には城とのかかわりをもつ神佛を祀っているおたくが多い。